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メディア掲載【透明水彩での美人画個展が河北新報に取材記事掲載されました】

10月 9th, 2020 — 5:55pm

■2011年1月4日、東北、宮城、仙台の新聞「河北新報」夕刊に取材記事が掲載されました。
「匂い立つ平成美人画、どう描く?」

河北新報 [匂い立つ平成美人画、どう描く?]
アートコンプレックスセンターでの個展を河北新報の夕刊で取材いただいた時の新聞がでてきました。
年齢逆算するとバレますが(笑)そういえばきちんとお知らせしていなかったな、と思い、10年を経てwebに掲載させていただきました。

私の生い立ちと、出身地について少しお話します。
実は、私はうまれ、育ちがずっと仙台だったわけではなく、生まれたのは福島県大沼郡三島町という、自然の豊かな雪深い場所でした。

父の仕事の転勤で、3歳から宮城県仙台市中山へ引っ越し、小学校1年生までを過ごしました。

その後は東京と仙台を2、3年ごとに往復する学生時代でした。
小学校は仙台市立八幡小学校、中学は仙台市第一中学校、高校は宮城第一女子高等学校(現在の宮城第一高等学校)を卒業し、(東京では武蔵台小学校に2年、杉並区立井荻中学校に2年半在校)美大を目指すために仙台美術予備校へ2年間通い東京造形大学へ入学してのち、ほとんど東京にいます。

大好きだった絵を描く仕事をしていくことになったのも、仙台での小学校や高校での友人たちとの出会いはなくてはならないもので、宮城県美術館や博物館も近い文教エリア、自然も豊かながら街までもすぐ出られる最高の場所に育ち、たくさんの印象深い景色のなかで、私の中に仙台での経験がとても深く根付いているからこそ、「出身は仙台」と答えているのだと思います。もちろん中学時代を過ごした杉並も大好きな場所ですが、(人生のうち2年半しかいなかったことが信じられないほど自分に根付いている場所でもあります)仙台で得た多くのものが、今の自分の創作活動の中にいきていると感じています。

今は実家が仙台にあることもあり、年に数回訪れる場所です。
仙台にいたときは自分の家でも読んでいた、東北、宮城といえば「河北新報」!という新聞の夕刊のトップ一面に掲載していただけたことは、とても誇らしく、少しは地元に貢献できたかもしれません。

仙台に帰るたびに街の景色が新しくなりますが、吹いている風や空気の匂いは同じだなと思います。

これからもぜひ仙台での展示やお仕事もできたら嬉しいな、と思います^^

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